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  はやめに
 

本研究の目的よその意義

1 文化的多元社会における日本の現実

 

 「国際理解・異文化理解教育」は、ユネスコの提唱によって世界に広く展開されてきた教育である。そのコンセプトは相互扶助の立場から、文化、人権、環境、平和などに関する幅広い内容を学習する教育である1

 「異文化理解教育」とは、異文化(文化、民族、歴史、習慣、宗教など)を理解させる教育であり、「国際理解教育」との違いは、「国際理解教育」は世界の国々(国際社会、社会問題、政治・ビジネス)を理解する教育である。しかし、日本においては両者の違いは意識されずに、一律に「国際理解教育」という呼び方がされている。「国際理解・異文化理解教育」は、日本においては「国際化」に対応する教育として学校教育の分野で第1に位置付けられ、期待されている教育であり、日本の政治・経済・社会の変化「国際化」の進展に伴って、その教育はますます重要視されている2。その現れが、1999年の新学習指導要領の中身であり、「総合的な学習の時間」の新設(2002年より始動)であるといえる。

 では、どうして日本における「国際理解・異文化理解教育」が学校教育の第1に位置付けられたのだろうか。それは、日本社会の内部で多文化・多民族化が進展している実態がその根底にある。ビジネス・情報(インターネット)・音楽・映画・ファッションなど日本国内には、海外のもので溢れている。そればかりか、日本で生活する外国人は増加の一途をたどり「国際結婚の増加、アジア・南米からの外国人労働者、海外留学生や就学生」また、「海外と日本を行き来する人々」の増加にともない確実に「多民族・多文化化」の道を歩んでいる3。つまり、ますます国際化する日本の現状に文部科学省は、これからの学校教育を異文化理解教育の観点から改革し、21世紀の最重要課題として、この教育の実践に力を入れざるを得ない現実があるのである。

今、日本での「国際理解・異文化理解教育」の目標は、「国際人」の育成が基本方針とされているが、同時に「多文化社会に向けての共生」という意味での教育が望まれているといえる。




 

  2 コミュニケーション下手な日本人



「異文化理解教育」の目的の一つにコミュニケーション能  力の育成がある。それは、世界情勢  の諸課題が背景にある。世界には、常に誤解や偏見などによ  る紛争が絶えない。その大きな  要因の一つは話し合いによる相互理解の不足が大きいといわれて  いる。対話の不充分さが暴  力的な行為を助長しているとして、その問題を解決するため「異文化  理解教育」に期待がか  けられている。

 日本でも、「国際理解教育」の教育目標の中に「コミュニケーション能力の育成」があり、特に重点が置かれている。それは、国際情勢や文化的多元社会という現実だけでなく、日本人の「コミュニケーション下手」という国民的な課題がその根底にあるといえる。日本人は「感情を言葉にするのが苦手である」とか、「声が小さい」とか「表現力が乏しい」など学校教育の現場のAssistant Language Teacher(以下,ALTと略す)たちが数多く指摘している4ように日本独自のコミュニケーションの特徴(曖昧な表現、以心伝心、沈黙は美徳、根回しなど)が外国人の目には不可思議な行動や否定的な態度に映っている。そして、コミュニケーションスタイルの変化(インターネットや携帯電話など)や母国語力の低下など、日本人のコミュニケーション上の問題が次々と現れている現実がある。

異文化間コミュニケーションの分野では、日本人の「自文化中心主義」「閉鎖的心情」などがコミュニケーションを妨げているとして、いかにすれば積極的なコミュニケーションを図るかという研究がされている。この問題は、複合的な問題をはらんでいるため、教育の政策面での取り組みと同時に、学校現場においても「異文化・異言語に開かれた学校」をめざす取り組みや地域の人びとの意識を改めることを通じて解決する必要があるといわれる。その取り組みが、日本人のコミュニケーションに大きな影響を与えることは間違いない。しかし、日本人がコミュニケーション能力育成に取り組んだデータは非常に少ない5。そのため、現在でも研究が待たれている事情がある。

 そこで、異文化理解におけるコミュニケーション育成の視点で、その実践の取り組みを考察し、具体的なコミュニケーション能力育成のための実践面での研究(カリキュラムの作成・実践)を通して異文化理解教育におけるコミュニケーション能力育成の有効性を探りたいと考える。



  3 はっきりしない新学習指導要領の中身3 はっきりしない新学習指導要領の中身

 

 新学習指導要領には、以下の記載がされている。

 -国際社会において、相手の立場を尊重しつつ、自分の考えや意思を表現できる基礎的な力を育成する観点から、外国語能力の基礎や表現能力などのコミュニケーション能力の育成を図ること-

  -外国語を理解し外国語で表現する基本的な能力を養い、外国語で積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を育てると共に言語や文化にたいする関心を深め、国際理解教育の基礎を培うこと-

 

多文化社会において共生するための基礎的な力を育成するため、

①外国語の基本的な知識・技能の習得

 ②コミュニケーション能力の育成(表現能力)

 ③外国語でコミュニケーションする積極性を育てること

   その学習スタイル「総合的な学習の時間」については、「国際理解・情報・環境・福祉・健康など」の横断的・総合的な課題を学習すると例示され、学習活動についての配慮事項や評価方法、教材などの注意事項が示されている。

    しかし、各学校がどのようにこの時間を使い、どのような学習導入がされるかについての記載はない。つまり、学校独自の体験的な学習を基盤にした、独自のカリキュラムに基づいて実践されることが要求されているのである。しかし、その不明瞭な内容ゆえに、その教育の必要性が理解されず、教育の実践が妨げられている可能性もあるという。(国際理解教育を実践しない学校も出ている)



  
4 英語に重点を置きすぎた学習



  小・中学校の英語教育では、異文化理解教育の視点からコミュニケーション能力育成の取り組み   が行われている。小学校での英語教育は、中学校の前準備といわれ、基本的な日常会話や語彙の   学習が行われているという。中学校では、会話を中心にした学習も行われ、聞くことと話すこと   を重点においた学習が行われている(6)。高校では、オーラルコミュニケーションの科目が新設さ   れた(7)。また、外国人指導助手(ALT)との授業も増やされ、スキル面でのコミュニケーション能力  の育成に力が入れられている。ここでは、英語のスキル面の育成が中心であり、なぜ、英語だけな  のかという疑問すら浮かばず、英語以外のコミュニケーションを考えることは難しいとい      う8




  5 コミュニケーションは楽しく自由に?


小・中学校での外国人との国際交流での事例では異文化理解教育という名目で単なるパーティやお  祭り騒ぎで終わるという事例が問題となってきた。楽しい雰囲気や自由な雰囲気を体験するという  授業には、異文化体験を通して異文化の人たちとコミュニケーションするというねらいがあるとい  える。しかし、子どもたちが、外国人との交流で何かを発見するのは難しいと考える。たとえ興味  を持ったとしてもそれを表現し、学びに  繋げる導きがなければその交流は無意味になってしま  うからである。
ALTと日本人教師が行う授業そのものが異文化理解教育であり、異文化体験であ   る。そこでは、むしろ不安や恐怖心などの感情や外国人との協同体験から見えてくるものが学びへ  とつながる。教師とALTなどの外国人がお互いに共通のコンセプトに立ち、お互いに協力する姿勢  は、異文化理解教育の姿そのものである。今、ALTは、生徒教師ともコミュニケーションが取れな  いことに戸惑い、意味の持てない交流に意欲をなくしているという9

 

 以上の考察からもわかるように、「異文化理解教育」におけるコミュニケーション能力の必要性 が求められているにも関わらず、その実践は困難を伴うことがわかるであろう。また、日本人の コミュニケーションスタイルの特徴や外国語教育の偏り、学校教育や教育現場の意識の問題な  ど、多くの課題を抱えている。それは、異文化間コミュニケーションへの展望の欠如が一因と考 える。そして、日本での「国際理解教育」には、西洋中心主義的な「国際化」を感じる10

 しかし、実際の世界で必要な「国際理解教育」とは、単にアメリカやイギリス語圏での社会生活 や情報・ビジネスのための能力やコミュニケーション能力があれば、他の国の文化や民族はどう でもよいという教育ではないことを認識する必要がある。実際の異文化間のコミュニケーション で必要なことは、異なる文化や民族を知り、国と国とは違っていても、人としての共通性や異な る点を発見し、感じたり、共感するという体験や、同じ人間としての視点を養うことであると考 える。

そこで、「異文化理解教育」で、必要なコミュニケーション能力とは、「異文化体験」を通して の「共生としてのコミュニケーション力」のことであるといえる。英語中心のコミュニケーショ ン能力育成の学習とスキル面での学習に対して、異文化理解の目的意識を育てることや「自己表 現力(日本語及び英語その他の言語・非言語)」の育成と積極的なコミュニケーションの姿勢や 態度の育成が弱い点を考慮したうえで、英語に限らず「人と人とを結ぶ言葉」としての視点でコ ミュニケーション実践の必要性を感じた。

 また、自分を表現し、他者を理解するための態度を育成するカリキュラムの作成が重要であると して、「共生のコミュニケーション(人と人を結ぶコミュニケーション)」をキーワードにした 異文化間コミュニケーションの能力育成のカリキュラムを作成し、その実践を通して異文化理解 教育に有効なコミュニケーション能力の育成に向けての研究を行いたいと考える。


 

()浅間正通著『異文化理解の座標軸―概念的理解を超えて-』日本図書センター2000.11 p204

()嶺井明子「国際理解教育―戦後の展開と今日的課題」、天野正治・村田翼夫編著『多文化共生社会の教育』玉川大学出版部2001.10 p90

()同上書 p99100

()堀田佳男『どうしてYesも言えないの-アメリカ人が見た日本の教育現場-』労働旬報社 1997.10 p19

()浅間正通、前掲書 p211

()吉村峰子『公立小学校でやってみよう!英語―総合的な学習の時間にすすめる国際理解教育―』草土文化 2000.1 p110

()和田稔『国際交流の挟間で―英語教育と異文化理解―』研究者出版 1991.9 p51

()吉武正樹「異文化コミュニケーションにおける言語選択―『英語の普及』をどう捉えるか」、伊佐雅子監修『多文化社会と異文化コミュニケーション』三修社 2002.3 pp7678

()堀田佳男、前掲書 p99

(10)伊佐雅子著『多文化社会と異文化コミュニケーション』三修社 2002.3.   pp9597

 
 
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